第三十一回 生豆の表現は行き着いた?

あるコーヒーの商社のコラムでコーヒーの世界は行き着くところまできた。
というようなことが書かれていた。
あくまでもコーヒー豆の商社での立場での見方だと思うが、

生豆が最初は国別。

ブラジル、コロンビア・・・

それが農園での区別。

ブラジル○○農園 コロンビア○○農園

さらに同じ農園でも品種の区別。

ブラジル○○農園 ブルボン種、コロンビア○○農園ティピカ種

そして同じ品種でも精製方法での区別

ブラジル○○農園 ブルボン種ナチュラル精製、コロンビア○○農園ティピカ種ウォッシュ精製

さらにはロットでの違い・・・
で、とうとうその細分化が行き着いた感があると商社のコラムにはあった。

確かにコーヒーの世界でも細分化が進み生産者の情報や輸送方法を詳しく追跡できるようになった。
今は何で特色を出しているのかというと、精製方法です。
(このコラムも参考にしてください)

今までウォッシュ精製が主体のガテマラやパナマといった地域で違う精製でのナチュラル精製をして独特の風味をつける。
また収穫をわざと遅らせてコーヒー豆に新たな風味をつけようともしたりする。
生豆の育成ではなく収穫後での差別化。

 

こうしたコーヒーがどういうものなのかというと、「フルーティー系」だろう。
チェリーの香りとかラズベリーの香りとかそのように表現される。

このようにコーヒー豆は同じ農園の品種でも精製方法の違いまで指定し始めるような時代になってきた。

これ以上は想像がつかない。

あとはそれぞれの農園での技術の蓄積で淘汰されていくようになるだろう。
ほとんどワインの世界のように五大農園などと言うようになるかもしれない。
生豆の生産者での表現は行き着くところまで行き着いている。

 

そんなコーヒー豆をどのように表現するかは自家焙煎店の個性が発揮される。
自家焙煎店の個性の時代なのだろうと思う。